• 国際ロータリー第2660地区 大阪イブニングロータリークラブ

東京ロータリークラブの創設

日本最初のロータリー・クラブは、1920年(大正9年)10月に創設された「東京ロータリークラブ」で、初代会長は米山梅吉氏、幹事は福島喜三次氏でした。

1918年(大正7年)三井銀行の米山梅吉氏が財政調査団に加わり、米国テキサス州ダラスで、ダラス・ロータリークラブ会員であつた福島喜三次氏からロータリーのことを聞き、大いに心を動かされて帰国し、1920年に帰国した福島氏とともに、東京でロータリー・クラブの設立に努め、24名のメンバーで、新クラブを創設しました。

大阪ロータリークラブの創設

続いて「大阪ロータリークラブ」が設立されました。東京ロータリークラブの創設に貢献した福島氏が大阪に転勤となり、星野行則氏(加島銀行)と話し合う機会があり、大阪でロータリー・クラブを設立することの必要性について語り合ったのがその発端です。1921年(大正10年)のことです。

英米訪問実業団の一員として海外に赴いた星野氏が、1922年春にシカゴのロータリー中央事務局(当時)を訪れ、当時の全米ロータリークラブ連合会幹事のチェスリー・ペリー氏(ロータリーの組織を築いた人といわれています)と懇談し、大阪にロータリー・クラブを創ることの全権を委嘱されて帰国しました。帰国後、福島氏等と協議し、1922年(大正11年)11月に大阪ロータリークラブを創設しました。創立会員は25名、当初の例会は月に2回(第2・第4金曜日)でしたが、1923年8月以降、毎週例会に改められました。

地区の創設

1924年(大正13年)に神戸および名古屋、1925年に京都とクラブの創設が相次ぎ、1926年に米山梅吉氏が国際ロータリー理事に選ばれました。

1928年(昭和3年)には、日本と満州国を包含する地域に第70地区が設けられました。当時のクラブ数は、内地6(東京・大阪・神戸・名古屋・京都・横浜)、外地1(京城)でした。その後、クラブの創設が相次ぎ、1939年(昭和14年)7月に、元の第70地区は、第70地区(名古屋以東の東日本:20クラブ)、第71地区(西日本、台湾:19クラブ)、第73地区(朝鮮、満州国:3クラブ)に3分割されました。

戦時下のクラブ…国際ロータリーから脱退

戦時色が次第に濃くなるに従い、ロータリー・クラブに対し、軍部や右翼から妨害や圧迫が加えられるようになり、1940年(昭和15年)に、日本のロータリー・クラブは国際ロータリーから脱退しました。

当時日本内地には37ロータリー・クラブがありましたが、その多くは、脱退後も、例えば「大阪金曜会」などの名称で会合を続け、19クラブが戦後の復帰まで、このような形で存続していました。

戦後の復帰など

1946年(昭和21年)に東京ロータリークラブ、大阪ロータリークラブが相次いで国際ロータリーに復帰を申し入れ、1949年(昭和24年)3月に東京ロータリークラブ、同年4月に大阪ロータリークラブなどの復帰が認められました。

現2660地区の地域には、終戦当時には大阪ロータリークラブだけがありましたが、1952年(昭和27年)12月に、同クラブがスポンサー・クラブとなり、区域限界の1部を割譲して、大阪北ロータリークラブと大阪南ロータリークラブが創設され、現2660地区の地域に2番目、3番目のロータリー・クラブが生まれました。

ロータリー情報集「ご存知ですか?」 大阪北ロータリークラブ発行より